『ALWAYS 三丁目の夕日’64』:どん底の日本に必要だった「お伽話」

映画・ドラマレビュー
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作品概要

シリーズ3作目となる『ALWAYS 三丁目の夕日’64』は、第1回東京オリンピックが開催された昭和39年の東京下町が舞台。敗戦からの復興を経て、オリンピック特需に湧いた上り調子の日本。人々の生き方にも、いろいろな可能性があった古き良き時代を描いた最終章です。

主なキャスト・スタッフ

  • 茶川竜之介:吉岡秀隆
  • 茶川ヒロミ:小雪
  • 古行淳之介:須賀健太
  • 茶川林太郎:米倉斉加年
  • 奈津子:高畑淳子
  • 鈴木則文:堤真一
  • 鈴木トモエ:薬師丸ひろ子
  • 鈴木一平:小清水一揮
  • 星野六子(ロク):堀北真希
  • 菊池孝太郎:森山未來
  • 富岡裕一:大森南朋
  • 監督・脚本・VFX:山崎貴
  • 原作:西岸良平
  • 配給:東宝
  • 公開:2012年1月21日
  • 上映時間:142分
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あらすじ

昭和39年、日本は戦後の復興を経て、東洋では初の開催となる第1回東京オリンピックに沸いていた。

売れない小説家の茶川は相変わらず少年誌での連載を続けているが、近頃は新進気鋭の作家・緑沼アキラに人気を奪われ連載中止の危機。副業の駄菓子屋もろくな収入にはならず、身重の体で小料理屋を切り盛りするヒロミが暮らしを支える状況で、茶川は妻のヒモ同然だった。

せめて淳之介には安定した人生を送ってほしいと願う茶川は、東京大学へ進んで一の流会社に入るよう言いつけるが、淳之介は小説への情熱を捨てられずにいた。

その一方、お向かいの「鈴木オート」はマイカーブームで商売も順調だが、年頃になった従業員の六子(ロク)は近所の病院に勤める菊池という若い医師に熱を上げていた。しかし、菊池には良からぬ噂があり、親代わりの則文とトモエは心配するが、六子は菊池と一泊旅行に出かけてしまった。

感想:

東京にある架空の下町を舞台に繰り広げられた『三丁目の夕日』シリーズ。1作目から今作までに共通するテーマは「人情」ですが、その中でもぼくは「疑似家族」というサブカテゴリーに注目しました。

本来はあかの他人同士なのに、ふとした縁によって肉親同様、ときにはそれ以上の強い絆で結ばれることがあるのかもしれません。

売れない小説家の茶川竜之介は、小料理屋の女将のヒロミに淳之介という少年を押しつけられ、最初こそ後悔したものの、その後は紆余曲折を経ながら親子同然に暮らしてきました。

その向かいにある自動車修理工場「鈴木オート」でも、青森から集団就職してきた六子ことロクが今では則文の片腕となり、また鈴木家にとって長女も同然の存在になっています。

今作は二人が自分の生きる道を見つけて、それぞれの場所から旅立っていく物語となっています。

重く沈んだ「平成不況」が産んだ、現代の人情喜劇

映画『三丁目の夕日』シリーズが多くの人たちに支持されたのは、長引く不況に沈んだ人々の上り調子だった頃の日本を懐かしむノスタルジー心を刺激したことが理由だったと思います。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫。暮らしに便利なアイテムが次々に揃い、今日より明日のほうが豊かになれる。そんな時代は建国から2600年、日本人が初めて味わう体験でした。

それが悲惨な敗戦の結果だとしても、むしろ戦争に負けたからこそ、帝国主義から開放され豊かで自由になれた! そう思う人たちが多かったとしてもムリはありません。

「衣食住足りて礼節を知る」と言いますが、景気が良ければ人の心は明るくなります。明日の心配がなければ財布も軽くなります。みんながおカネを使えば景気はさらに良くなります。そうした好循環な時代があったことさえ、今の日本には白昼夢のようです。

今では「鈴木オート」のような零細企業でさえ従業員をコストとしか考えず、経営者だけが儲けを独り占めしようとばかり考えています。従業員はいくら働いても報われず、多くの人たちがこの国に生まれたことを不運と感じるようになりました。

そんなギスギスした世の中だからこそ、あかの他人が互いに心を交わしながら生きる、そうしたお伽話を描いたこの映画が支持されたんでしょう。

実際には集団就職で出てきた若者たちの多くが過酷な労働環境に耐えきれず、短期間で就職先をやめていたようです。労働者の権利とかハラスメントなんていう概念のなかった時代ですから、六子のように勤め先で家族同然に扱ってもらえる幸せな人は、現実にはほとんどいなかったかもしれません。だから、このシリーズはあくまで高度経済成長期の日本を極端に美化したお伽話です。

それを百も承知で、当時の日本はひたすら良かったというフィクションに仕上げたところが、このシリーズのウマさですが、それはきっと不況続きの日本人には必要なウソだったんでしょう。

ダメ男を演じたら、右に出るものがいない吉岡秀隆

シリーズの主人公である、売れない小説家の茶川竜之介を演じるのは吉岡秀隆。ダメな男を演じさせたら日本の俳優で右に出るものはいないと思えるほど、今シリーズの茶川竜之介はハマリ役でした。

とくにシリーズ最終作となる今作は茶川のダメっぷりが遺憾なく描かれて、2023年に出演した日本テレビのドラマ『コタツがない家』で演じた妻のヒモ同然で暮らす漫画家の深堀悠作というキャラは、このシリーズで演じた茶川が原型と思わせます。

また、吉岡秀隆と言えば、ドラマ『北の国から』でも純というダメな男を演じ続けていましたから、茶川のようなダメキャラはお手のものでしょう。

そんな彼も、若い頃は大学入学を機に俳優をやめようと考えていたそうです。しかし子役の頃、のちに『男はつらいよ』でも共演することになった渥美清から「君はずっと役者をすることになるよ」と予言されていたと言いますから、人の運命はわからないものです。

あの時代に開催したから良かった東京オリンピック

日本が世界に向けて復活を宣言した第1回東京オリンピック。劇中では鈴木オートの則文が、「この辺りは焼け野原だった。それが今じゃオリンピックだ!」と感激するシーンがあります。

ぼくはオリンピックのあとに産まれた世代なので当時をリアルタイムには知りませんが、あの頃の日本人にとって第1回東京オリンピックは、敗戦でボロボロにされた日本が、たった20年で世界有数の経済大国になったという誇りの象徴だったのだろうと思います。

また、1970年には大阪で「日本万国博覧会」が開催されました。1969年に人類初の月面着陸に成功したアポロ11号が持ち帰った「月の石」を見るために大勢の人たちが行列を作ったほど、あの万博は日本の未来がまだまだ明るいと感じさせてくれたと思います。

そう言えば、あの万博を舞台にした『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』というアニメ映画もありますね。

ご存知のとおり、2度目となる東京オリンピックは新型コロコロのせいで2020年の開催が頓挫し、翌年2021年の開催となりました。当然、第1回のような興奮もなく、日本じゅうが妙に冷めた感じで見ていたように思えます。
大阪万博も2025年に2度目の開催が予定されていますが、こちらも開催前からいい話は聞きません。建設費の高騰などで当初の予算を大幅にオーバーすることは確定的となり、そもそも今さら万博を開催する意義があるのか? という疑問さえあります。
それでも強行するからには、どこかで誰かが大きな利権にありつけるんだろうとしか思えません。少なくとも、第1回の東京オリンピックや大阪万博のように、日本じゅうが期待を込めていたような熱量を、今となっては感じることもできません。
個人的には、オリンピックや万博などは「オワコン」でしかないと思います。こうした国をあげてのイベントは未来への希望を象徴するものであり、今や「衰退途上国」と化した落ちていく一方の日本で強行する必然性も必要性も感じません。そこにはやっぱり、開催することで得をする誰かの利権があるんだろうと思ってしまいます。

あえて上昇気流に乗らない自由もあった時代

今作では六子の恋人となる菊池医師が、あえて医師としてのエリートコースに背を向けて、場末の人たちのために無料診療を行う様子が描かれます。同じく無料診療を行う仲間であるタクマ医師は則文たちに問いかけます。

「今はみんなが上を目指す時代。それなのに彼は患者の笑顔を見るほうが幸せだと言った。幸せとは何でしょうな?」

ぼくの答えは、あえて上昇気流に乗らない自由を選べたことが幸せだったんじゃないかと思います。

『三丁目の夕日』シリーズでは、模型飛行機が当時の世相を表すモチーフになっていました。1作目では鈴木オートの一人息子・一平が空高く飛ばし、その直近を描いた2作目は安定飛行、そして最終作となる今作ではまた一平が空高く飛ばします。

今の日本を模型飛行機に例えるなら、ボロボロになって、どこかの沼地にでも落ちて朽ち果てるような状態です。雨に打たれて翼は破れ、次第に泥の中に沈んでいく。そんな様子が、今の日本を象徴するように、頭の中に思い浮かびます。

今こそ言いたい「夕日のバカヤロー!」

高度経済成長期の夕日は「あ〜、今日も一日働いたぁ」と、疲れたけれど明日もまたガンバロー!だったんでしょうね。当時の夕日は幸せな明日が約束されていた象徴だったのかもしれません。でも今の夕日は、落ちぶれ続けるこの国を象徴しているようにしか見えません。「衰退途上国」「日没スル国」になった今、夕日は没落の象徴にしか見えません。

きっと、なんとなくそう思っている人は多いでしょう。そうした人たちが『三丁目の夕日』という、あえて戦後の日本を美化しまくった映画に引き寄せられたんだろうと思います。もちろん、ぼくなりの褒め言葉です。