映画『おかしな奴(1963)』:渥美清が不世出の落語家歌笑を好演

映画・ドラマレビュー
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作品概要

1963年の映画『おかしな奴』は、戦中・戦後に創作落語で人気を博した三代目・三遊亭歌笑の波乱万丈な生涯を描いた作品。

顔立ちへの劣等感を逆手に取り、またリズミカルな話芸を武器に、戦後の人々の心を笑いで支えた不世出の落語家を渥美清が見事に演じています。

  • 監督:沢島忠
  • 脚本:鈴木尚之
  • 公開:1963(昭和38)年11月1日
  • 上映時間:110分
  • 配給:東映

主なキャスト

  • 三遊亭歌笑:渥美清
  • ふじ子(歌笑の妻):南田洋子
  • おひさ(歌笑の初恋の人):三田佳子
  • 三遊亭金楽(歌笑の師匠):石山健二郎
  • しゃもじ(歌笑の兄弟子):佐藤慶
  • 藤田三吉(寄席の下働き):田中邦衛
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あらすじ

シナ事変勃発の年、高水治男は極度の近眼のために徴兵検査で丙種(不合格)となる。落語家を目指した治男は三遊亭金楽の弟子となり金平の名をもらうが、ライバルのとん楽には先を越され、想いを寄せる女中のおひさは嫁いでしまう。

芸も恋もうまくいかず酒に溺れる金平だったが、「自分の道は自分で切り拓け」という師匠の言葉に奮起。おひさがくれた「啄木詩集」にアイデアを得た「純情詩集」という創作落語で人気を獲得。名前も三遊亭歌笑と改め躍進するが……。

感想・考察:歌笑の話芸は寅さんの原型?

『男はつらいよ』ファンのぼくは渥美清が主演という理由で今作を観ましたが、三遊亭歌笑が実在した落語家だったということすら知りませんでした。そしてWikipediaで歌笑を調べてみると、いかに渥美清がはまり役かも一瞬で理解しました。

作者不明作者不明, パブリック ドメイン, via Wikimedia Commons

ひと目見たら忘れられない四角い顔は、まるで渥美清と同じ型枠で作られたんじゃないかと思うほどそっくりな造形。

歌笑は徴兵検査で極度の近視と「不忠な顔」で不合格にされていますが、デビュー前に泥棒をしていた渥美清も「おまえの顔は覚えやすくて犯罪者に向かない」と警察に言われた逸話が残っています。

その渥美清は子どもの頃、ラジオで聞いた落語を同級生たちの前で披露していたというほどの落語好きですから、歌笑を演じるのは渥美清の他には考えられないほどの適役です。

歌笑オリジナルの創作ネタ「純情詩集」はリズミカルな話芸が特徴ですが、それは渥美清が『男はつらいよ』で演じた寅さんの物売り口上にも通じます。

銀座チャラチャラ人通り
赤青緑とりどりの
着物が風にゆれている

「チャラチャラ」というフレーズは寅さんの「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水」とも共通しますね。というより、寅さんが啖呵売で使う口上は落語がベースとなっているので、似ているところがあるのも当然のようです。

「お国のために」死ぬことが義務だった異常な時代

今作の時代設定は昭和の前半、まだ日本が戦争中だった頃です。劇中でも寄席の下働きをしている三吉(田中邦衛)が戦地に招集されたり、歌笑の兄弟子しゃもじ(佐藤慶)が戦地に行くより自○することを選んでしまいます。

枝からブラ下がったしゃもじの遺体を見た円八師匠(十朱久雄)が「非国民!」と叫び、さらに「お国のために喜んで死ぬのが当たり前なのに」と続けるシーンがあります。

そりゃ、あんたの歳なら招集される心配はないだろうから好きなこと言えるだろうよ、と今なら素直にそう言えますが、当時はそんなこと口が裂けても言えない時代だったんでしょうね。

米軍機の空襲の中、「やだやだ、もうこんな戦争まっぴらだ、バカヤロー!」と叫ぶ歌笑ですが、実在の歌笑は短期間ですが招集されたことがあったようです。一度は徴兵検査で不合格にした歌笑まで招集したとは、いかに日本軍が劣勢だったかわかります。

もしまた日本が戦争になって国民を招集したら、自分は「お国のために」戦うだろうか? それとも、しゃもじのように自○するだろうか? いっそ、この国の上級国民どもから○してやろうか? などと考えて、夜もぐっすり眠れるうちが幸せのようです。

歌笑の兄弟子しゃもじを演じた佐藤慶。ぼくのイメージにはニヒルでクールな役柄しか思い浮かばないんですが、今作では気の優しい青年を好演しています。

女たちが敗戦で得られた、はじめての自由?

歌笑の入門当初から甲斐甲斐しく世話をしてくれたのが、師匠の家で女中として働くおひさ(三田佳子)。

歌笑とは相思相愛でしたが、許嫁の出征を機に嫁いでしまいます。戦争が終わって歌笑がおひさと再開したとき、彼女は米兵に体を売る女になっていました。

戦後は「パン助」とか「パンパン」と呼ばれる女性たちが多かったようです。

夫を戦地で亡くし、家も財産も空襲で奪われ、体を売るしか生きる術のなかった女性たちのタフな生き様を描いた作品としては、田村泰次郎の小説を原作として何度も映像化された『肉体の門』があります。

おひさはたった10日の結婚生活で夫が戦死。嫁ぎ先を飛び出て、はじめて自由に生きられるようになったと言います。

おひさの言葉は半ば強がりでしょうが、半分は本音だったんじゃないでしょうか。

良妻賢母であることを強いられた戦中までの日本社会は、女性が思うように生きられない窮屈な時代だったのかも知れません。

しかし戦争で夫も家も失ってしまえば、あとは体ひとつで生きていくしかありません。それがむしろ、当時の女性たちにとっては、はじめて味わう自由だったんでしょう。

そしてそれは男性にとっても同じこと。

「お国のため」と上の連中にとって都合のいい言葉で死んでいくのが日本男児だと言われた戦中から、敗戦後は男たちも生きるために、なりふり構わぬ日々を送らなければならなかったと思います。

敗戦後の日本人の姿は、戦中や戦前なら「非国民」扱いされたかも知れません。でも坂口安吾が『堕落論』に書いたように、人は堕落するのが当然。

むしろ日本男児とか大和撫子と、不自然な型にはめるところに日本の脆さがあったように思えます。

歌笑は最後に進駐軍のジープに轢かれて死んでしまいます。路上に倒れた歌笑の傍らには、おひさから贈られたルーペが割れています。そして急停止したジープの助手席には……。

コンマ数秒の中に、切ない演出が隠されています。

『おかしな奴』は「東映オンデマンド」で視聴できます。