【暴論】選挙権の一人一票、平等は公平よりも正しいのだろうか?

政治・経済
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2016年からは選挙権年齢が「満20歳以上」から「満18歳以上」に引き下げられました。これで若い人たちが政治を自分ごととして考えるきっかけになり、少しでも投票率が増えればいいですね。

しかし総務省の統計によると、2021年10月に行われた第49回衆議院議員総選挙の全年代を通じた投票率は55.93%にしかならず、有権者の半数がせっかくの権利を捨てています。

2021年10月 第49回衆議院選挙 年代別の投票率

上の棒グラフは年代ごとの投票率をあらわしたもの。年代が高くなるほど投票率も高くなっているのが一目瞭然です。とくに50代以上の投票率は60%以上ですから、高齢者ほど選挙への関心が高いことがわかります。

10代の投票率は40%超と若年層としてはまずまず。できれば、もう少し投票してほしかったんですが、まだ政治というものがよくわからないので、しょうがないかもしれません。これからも政治に関心をもって投票に行き続けてほしいと思います。

対照的に、もっとも投票率が低いのは20代。おい、頑張ろうよ! とは言え、自分も若いころは政治に対する関心はなかったのでエラソーなことは言えません。

しかし、30代、40代と年齢とともに投票率が上がっていくのは、家庭をもったり仕事が充実したりで「社会人」としての意識が高くなったためかもしれませんね。

ちなみに、下の円グラフはこの選挙が行われた時点の年代別人口割合です。

2021年10月時点の年代別人口割合

投票率が60%を超える50代以上が全人口の48.3%と、ほぼ半数を占めています。これでは候補者が年寄り受けする公約を訴えるのは当然。「シルバー民主主義」と言われるゆえんですね。

そこで、ここからが本番です。

言うまでもなく、日本は有権者の一人ひとりに「平等」な一票を与えています。30歳の一票も、90歳の一票も同じ一票です。

しかし、それがほんとうに正しいんだろうか? という問いかけが今回のテーマです。

その前に「公平」と「平等」の違いについて、言葉の定義をハッキリさせておきましょう。

いろいろな辞書をひき比べてみた結果、「公平」とは偏りがない状態・状況のこと。「平等」は単純に均等分けのようです。辞書を編纂する人たちもハッキリ区別できないようですが、ニュアンスとしてはこういうことのようです。

たとえば、1枚のピザを兄弟3人で分けるとしましょう。

20歳の長男が3/6食べて、10歳の次男が2/6、3歳の三男が1/6食べるのが「公平」です。まあ妥当な分配と言えるでしょう。

「平等」は6ピースのピザを兄弟3人で均等に2つずつ分けるイメージ。20歳の長男にとっては物足りなく、3歳の三男にとっては多すぎるかもしれません(そんなことないか?)。

ピザなら分配をめぐって兄弟ゲンカが始まっても、すぐお母さんに叱られて終息するので大した問題じゃありません。しかし、選挙権となると話は違ってきます。

結論を言うと、高齢者に一人一票は与えなくてもいいという暴論です。

今まさに社会を支えている世代、たとえば30代~40代の一票を1.0として、その前後の年代は0.9、0.8、0.7のように一票の重みを減らしていくこともアリじゃないかと思います。

70歳以上になると、もう社会を支えている世代とは言えません。むしろ、年金や医療費など社会保障費からの恩恵を享受している世代です。

もっとハッキリ言うと、明日の日本に責任をもてない世代です。責任はもてないのに権利は現役と同じでは「公平」な態度とは言えません。

国の運営を行う国会議員を選んでいるのが高齢者ばかりでは、高齢者に有利な政策に偏るのは必然でしょう。

そうなると、現役世代にとっては負担ばかり大きくて、自分たちのための政治は行われなくなります。もちろんそれは、選挙に行かない現役世代にも責任がありますけどね。

だからこそ、現役世代はもっと選挙に行こうよ! そして、高齢者世代には一歩引いてもらいましょう。というのが、このエントリーの趣旨です。

国政選挙が行われるたびに「一票の格差」が問題になりますけど、これだけ高齢者の多い人口構造では、すべての世代に「平等」な一票を与えるほうが「不公平」じゃないでしょうか?

という暴論でした。したっけ!

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