『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』(新潮文庫)レビュー

マンガ・書籍レビュー
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書籍概要

2011年3月11日、約18,000人が死亡・行方不明となった東日本大震災が発生。その後の東北各地では、亡くなった人たちの姿が目撃される事例が相次ぎました。

『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』は、そうした事例の体験談を集めたレポートです。

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感想・レビュー

先日このブログにレビューを書いた『「お迎え」体験』は、死期の迫った人のもとに亡くなった人の霊が現れる「お迎え」現象が紹介されたレポートでした。

この本を読了して次に手にしたのが今回レビューする『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』ですが、本書を読み始めてすぐに、ぼくは意外な偶然の一致に気づかされました。

本書は数々のノンフィクション作品を発表してきた奥野修司氏と、宮城県で在宅緩和ケアを専門に活躍された故・岡部健(たけし)院長との交流がきっかけとなって上梓されましたが、その直前に読んでいた『「お迎え」体験』こそが、岡部医師が院長を務めていた「爽秋会 岡部医院」による調査レポートでした。

書籍『「お迎え」体験』レビュー
書籍概要 死を目前にした人の前に、すでに亡くなった人が訪れる。日本では古くからよくある現象として受け止められてきた「お迎え」現象ですが、これまで医療の世界でその実態が調査されることはありませんでした。 本書は在宅緩和ケアを専門とする医療法人...

『「お迎え」体験』はオカルト的な視点ではなく、彼岸へ渡りゆく人と此岸で見送る家族とのあいだに生まれる豊かな体験談として綴られた一冊でしたが、本書に紹介される霊の目撃談もまたオカルトではなく、震災に命を奪われた人々と遺族との心のつながりを綴った内容となっています。

ぼくを含めて被災地から離れた場所に住む者は東北の人たちを「被災者」と一口に括ってしまいがちですが、本書を読むと被災体験も故人への思いも人の数だけあるという、あたりまえのことに気づかされます。

考えてみれば当然のことなんですが、震災の被害を受けずに済んだぼくにとって毎年3月11日は「東日本大震災があった日」と思い浮かべるだけで、その日が18,000人もの命日だということに想いを馳せることはありませんでした。

しかし震災は18,000の命を奪ったと同時に、その数倍の遺族からも大切な家族や日常生活を奪ったことを、本書はあらためて教えてくれます。

ある人は家族を失った悲しみを表現することも憚られていたのが、避難所で天皇陛下からお言葉をかけられてからは、周囲が手のひらを返したように接してくるようになったなど、被災者のあいだにも表面には出てこない複雑な感情があったことも書かれています。

また当時は一度にたくさんの人々が亡くなったため地元の火葬場に空きがなく、悲しみをこらえながら方方の火葬場に電話をかけまくった遺族の話も身につまされます。

そして震災遺族の多くに共通するのが、なぜ自分が生き残ってしまったのか、という自責の念。あのとき、ああしていたら助けられたのではないか?

そんな後悔が胸中を覆い尽くし、生きる気力も奪われ、茫然自失の日々が続いていた人たちも少なくありません。

それでも亡くなった人がまだ自分のそばにいると感じられたとき、死はその人の存在が消滅するのではなく、魂は不滅なんだと実感でき、そのことが心を癒やし、再び生きる希望を与えてくれることが多かったようです。

『「お迎え」体験』と共通するのは、亡くなった人を見ることに科学的な真偽などに意味はなく、その体験が見えなくなってしまった家族とのつながりを確信してくれることで、残された人たちが亡くなった人の分まで生きていけるようになることに意味があるように思います。

著者の奥野修司氏は、同じ人から最低でも3回は話を聞くようにしたと言います。中には、その過程で話の内容が変わっていく人もいたようですが、それはウソを言っているのではなく、亡くした人と自分との物語を紡いでいくプロセスだったのかもしれません。

亡くなった人を語ることは、その人と自分との物語を語ること。そのことで心に溜まっていた澱にカタストロフィーが起こり、生者は新たな物語を作っていきます。そして、いつかは自分も誰かに語られる存在となって、物語の主役となるのでしょう。

著者はあとがきで、東北地方にこうした霊体験が多いのは「あの世」と「この世」を西洋的な価値観で区別しない「遠野物語」のような気風があるからだろうかと記しています。

『古事記』にもあるように、古くから日本人にとって「あの世」は天上や地下にあるものではなく、「この世」と地続きという感覚だったのかもしれません。

だからこそ、姿は見えなくなっても魂はいつもそばにいてくれる。そんな日本人古来の死生観を思い出させてくれる、そんな一冊でした。