『涙のシークレットラブ』美人先生の横顔に大人の恋の影を見た

音楽
記事内に広告が含まれている場合があります。
スポンサーリンク

昔、ダウンタウンブギウギバンドの曲に『涙のシークレットラブ』っていう不倫を歌った曲がありました。以前に開設していたブログにこの曲にまつわる思い出話を書いたんだけど、それがけっこう読まれていたのを思い出したんで、このブログに改めて書いてみます。

スポンサーリンク

先生、あのときシークレットラブの最中だったんですか?

時は昭和50年代。ぼくは小学校5年生から卒業頃まで英語塾に通っていたことがありました。同級生の女の子のお母さんが個人でやっている塾だったんだけど、そのお母さんってのが当時まだ30代後半くらいだったかな? どことなく異国の血が入っているようなキレイな人でした。

その頃のぼくは小学生ながらダウンタウンブギウギバンドのライブに行くほどのファンでしたから、新曲が発売されるたびに少ない小遣いをはたいてシングルレコードを買い集めていました。

『涙のシークレットラブ』は1976年に発売されたダウンタウンブギウギバンドの7枚目のシングルレコードですが、前年1975年の『ブギウギ・どん底ハウス』というアルバムにも収録されているのでまっさらの新曲というわけじゃなく、再録または別テイク版をシングルカットしたようです。

当時のダウンタウンブギウギバンドは『スモーキンブギ』や『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』のようなコミカル路線からの脱却を図っていた時期で、『涙のシークレットラブ』は同年3月に発売された『裏切り者の旅』に続く「大人路線」の第2弾目となった曲でした。

もちろん、この曲が発売されると同時にぼくはシングルレコードをゲット。小学生のぼくに歌詞の深さがわかるはずもありませんでしたが、それでもこの曲の切ない雰囲気が妙に気に入って、毎日のようにヘビーローテーションで聴きまくっていました。

ぼくがダウンタウンブギウギバンドの大ファンということは英語塾の美人先生もご承知でしたが、その先生が『涙のシークレットラブ』を聴きたいからレコードを貸してほしいと言います。次の授業の日にレコードを渡すと、先生は用意していた卓上プレイヤーでさっそく聴き始めました。

そのときの先生が、妙にしんみりとした顔をして聴き入っていたのを今でも覚えています。平成生まれにはわからない表現でしょうが、人差し指で「のの字を書く」ような感じで、ぼくたちが居るのも眼中にないくらい、じっ~とこの曲に聴き入っていました。

昔はイラストのような一体式の安価なレコードプレイヤーがよくありました。

あのときに見た先生の切なそうな顔は数十年経った今でもぼくの心に焼きついています。そして、ぼくも一応は大人と呼ばれる歳になったころ、ふと気づきました。もしかしすると、あの時の先生はまさにシークレットラブの最中だったんじゃないかと。

先生は年に1・2回「語学留学」という名目でひと月くらい塾を休講にしていたんですが、あれってもしかして、恋人に会いに行くための口実だったんじゃないかな? なんて、あとになって思い当たりました。

女手一つで小学生の子ども二人を育てていた美人先生ですが、やっぱり男性に頼りたいと思う気持ちもあったのかもしれません。今でもダウンタウン・ブギウギバンドの『涙のシークレットラブ』を聴くと、あのときの先生の切ない横顔がまぶたに浮かびます。

スポンサーリンク

この曲からダウンタウン・ブギウギバンドのドラムが交代

さっきも書いたように、小学生のぼくはダウンタウンブギウギバンドの新曲が出るたびにシングルレコードを買い集めていたんですが、『涙のシークレットラブ』を買ったときにメンバー交代されているのに気づきました。

前曲の『裏切り者の旅』までは初代ドラマーの相原誠さんがジャケットに映っていましたが、『涙のシークレットラブ』からは唐突に二代目ドラマーの鈴木洋行さんになっています。

左から2人目が相原誠さん。
右端に座っているのは、まだサポートメンバーだった千野修一さん。

初代ドラマーの相原誠さんは、かつて矢沢永吉が率いたロックバンド「キャロル」のドラマーでしたが、キャロルがレコードデビューする際に、矢沢永吉と当時のプロデューサーだったミッキー・カーチスによって、なぜか唐突にクビにされています。

右端、キャロル時代の相原誠さん

デビュー直前になって、なぜ相原さんがクビにされたのか? その真相はわかりませんが、そのあとはダウンタウンブギウギバンドに加入できたので、相原さんにとっては結果的に良かったのかもしれません。

前年ながら相原さんは2020年に68歳でお亡くなりになりましたが、彼のシンプルなドラムプレイはデビューから全盛期までのダウンタウンブギウギバンドのサウンドを支えていたと思います。

そして『涙のシークレットラブ』のレコードジャケットからは二代目ドラマーの鈴木洋行さんが登場します。

右から2人目が二代目ドラマーの鈴木洋行さん

と言っても『涙のシークレットラブ』でドラムを叩いているのは初代の相原誠さんですが、この曲をリリースするときには脱退が決まっていたので、レコードジャケットは二代目ドラマーの鈴木さんがお披露目的に登場しています。そしてキーボードの千野修一さんも、この曲から正式メンバーとして加入しています。

でも相原さんは、なんでこんなに成功したバンドを辞めたんですかね。相原さんは後年になっても宇崎竜童さんとはいい関係でいたようなので、それだけにバンドを離れた理由が謎です。

そして相原さんの後任として加入した鈴木洋行さんも一年ほどでダウンタウンブギウギバンドを脱退し、その後は「5カラット」というバンドで『ジンギスカン』という曲をカバーしましたが残念ながら鳴かず飛ばずで終わっています。

それでもこのビデオを見ると、鈴木さんがオーバーアクションでドラムを叩いている様子を後ろから撮っているので、元ダウンタウンブギウギバンドという肩書きが売り出すために使われているのがわかります。

ちなみに『ジンギスカン』はベリーズ工房がさらにカバーしているので、こちらのほうが知られているかもしれません。ぼくがいつもいくスーパーではベリーズ工房の『ジンギスカン』がジンギスカン売り場で流れています。

ここまで書いたら本家の『ジンギスカン』も貼らないといけませんね。

最初は美人先生のしみじみとした物語だけを書くつもりだったんですけが、酒を飲みながらブログを書くと、こうして話が脱線しまくりです。ま、いいか。