おいちゃんが『東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!』(ムギタロー著 サンクチュアリ出版)で学ぶ経済学復習コーナー。
今回は政府がおカネを発行するためにとる「国債」についての説明です。
CHAPTER 2-4 お金の増え方(国債の場合)
この節で説明されているのは、簡単に言えばこういうこと。
①政府は「国債」という借用書を発行して、民間からおカネを借りる。
②政府はそのおカネで国を運営し、おカネが世の中に出回っていく。
③「国債」の償還期限が来ると、中央銀行がおカネを作って「国債」を買い戻す。
①と②の時点で世の中にあるおカネの量は同じです。たとえば民間から100億エン借りて、そのおカネを公共投資などで分配していくので、100億エンのおカネが世の中を回っているだけです。
しかし③では世の中のおカネが増えています。①②の100億エンに加えて、国債を買い取る100億エンが新たに発行されるので、世の中に出回るおカネの総額は200憶エンに増えます。
つまり、国債の発行はみんなの手元に渡るおカネが多くなって、経済成長につながるということのようです。
でも、よく「国の借金がー」とか言う人もいますね。国債は借金なんだから、あまり発行し過ぎると財政破綻するぞという意見はよく見聞きします。その疑問についてはこう説明されています。
でも、エン印刷係は、
エンを発行しようと思えばいくらでもできるので、
「政府から105万エン返してほしい」とは考えません。
100年後に返してくれてもいいし、べつに返してくれなくてもいいと思っています。
本書でも説明されていますが、日本政府は日本銀行の株式の55%を持っているので、この2つは実質的にグループ会社です。だからグループ全体で見れば、おカネをどっちが持っているかというだけのことです。
国債についての説明が、わかりにくくて悩んだ
このCHAPTER2-4では、なぜか舞台が急に「100人の島」とそっくりな「ニッポン島」に変わります。
「ニッポン島」のヒトたちも「100人の島」と同じく「エン」というおカネを使っていますが、唯一違うのは、「ニッポン島」は「政府」と「エン印刷係」とに分かれているところだそうです。
だったら「100人の島」をそういう設定にすればいいんじゃないでしょうか? わざわざ別の世界を用意して説明する必要はないと思うんですが。
ま、それはいいとして、国債の発行によるおカネの増え方はこう説明されています。
まず政府は、「そのうち105万エンと交換できる券(国債)」を100万エンで住民に買ってもらいます(そのうち5万エンの利息を受け取れるイメージ)。
そして住民から受け取ったその100万エンを使って、公務員に給料を払ったり、ダムや公園の建築費を払ったり、年金や医療費や子育て支援などの支払いをします。
ここまではいいです。問題はここからです。
一方、エン印刷係は、しばらく経つと約100万エンを発行して、住民から「そのうち105万エンと交換できる券(国債)を約100万エンで買い取ります。
は? ここで悩みました。
なんで105万エンで買い取るはずの国債を100万エンで買い取るの?
本書ではこう続けています。
(※国債の買い取り額はその時の国債の市場価格によります。今回のケースに当てはめるなら、通常は100~105万エン程度になりますが、今回はわかりやすさを優先して「100万エン」としています)
いやいやいや! むしろ、わかりにくくしてませんか?
「そのうち105万エンと交換できる券」が100万エンで買い取られるなら、誰もそんな券は買いません。
たぶん、この部分は「債権」についての基礎知識がないと混乱してしまうところなんでしょう。おいちゃんも書籍やネットで調べている最中なんで、ここでうかつなことは書きません。
しかし、国債の説明をシンプルにするなら「一年後に105万エンで買い取りました」でいいんじゃない?
誰もここで悩まないんだろうか? もしかして悩んでいるのは自分だけなんだろうか? そう思ってAmazonで本書のレビューを見てみました。
僕の理解力の問題なのでしょうか。
「105万円と交換できる券(国債)」を国から100万円で買いました。
その「105万円と交換できる券」を国に売った場合105万円もらえると思うのですが、100万円しか貰えていない。別レビューでもあったが105万円と交換できる券(国債)を国に売ったのに100万円しか貰えていない、
なんで?その説明がまったくない。
やっぱり同じように悩んだ人はいたようです。しかし約230件のレビューでこの部分に触れている人はほとんどいません。みんな悩まずに理解できたのか、それともわからないままスルーしたのか。謎です。
本来なら、こういうわかりにくいところは編集者が指摘しなければならないところでしょう。また本書には監修者として2人の名前もクレジットされています。3人の人たちが関わっているのに、誰も指摘しなかったというのも、なんのための編集者や監修者なんだと言いたくなるところです。
なんだかこの節は、わかっている人がわかっていない人にする説明の典型のように思えます。「これくらい説明すればわかるだろう」という、説明する側の思い込みに聞き手がついていけてない状態ですね。学校の授業で言えば、「よし、ここまではいいな?」と教師がさっさと次に行きたがっているような感じ。
もしかすると、この時点で本書を捨ててしまった人もいるかもしれません。というクレームで本節はおしまい。したっけ!