資本主義における労働者からの搾取は窃盗と同じだろうか?

政治・経済
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他人のモノを盗むと罰せられるのに、他人が労働で生み出した価値を搾取することが許されているのはなぜか?

なんて書き出しだと「おまえは左の思想か?」と言われそうですね。べつに「資本家どもは皆〇しだ、ヒャッハ~!」な革命的共産主義者ではありません。ただ、ふと思いついたんで少し考えてみようと思っただけです。

資本主義は労働者が産み出す利益を企業が搾取しますが、その利益を再び事業に投資することで企業が存続し、社会の富も増えます。それは搾取された労働者にとっても利益になります。

もし、企業がある程度の利益を出してくれないと、労働者にとっても「ウチの会社、大丈夫か?」と気が気じゃありません。映画『男はつらいよ』のタコ社長のように「やっと手形一枚落とせたよ」なんて言っている経営者じゃ困りますからね。

だから企業が労働者の生み出した利益を、ある程度搾取するのは妥当だと言えます。それが「フツー」の資本主義ってもんでしょう。

言い換えれば、労働者は雇用の安定や社会的な豊かさに対して、搾取というかたちで前払いしていると言えるかもしれません。そうしたメリットがあるなら、適度な搾取は企業にとって必要な原資として容認できます。

しかし他人のモノを盗むのは盗んだ者にとっての利益しかなく、盗まれた人にとっては損失しかありません。当然ですが、盗まれた人は盗まれることにも同意していません。企業による、ある程度の搾取は労働者にとっても間接的なメリットがあるのに対して、窃盗は一方的な損失の強要ですから問答無用にNGです。

となると、雇用の安定も社会的豊かさも得られない過剰な搾取は窃盗と同じということにならないでしょうか?

日本には近江商人の「三方良し」という考え方がありました。売り手・買い手・社会それぞれにメリットのある商売が一番いいというものです。その影響があってか、昔の経営者には、従業員に充分な給料を払えないことを恥る風潮もありました。タコ社長は、そうした経営者の象徴的なキャラです。

しかしグローバル経済というインチキ商法がはびこったせいで、近ごろの経営者には、できるだけ従業員を安く使って、自分たちの利益だけを増やそうと考える輩が多くなりました。

日本の企業の87%は従業員数20人以下の零細企業ですが、そうした企業では社長をはじめ役員全員が家族や親せきで占められていることも多く、自分たち一族の利益しか考えない経営者も珍しくありません。

そうした「今だけ、カネだけ、自分だけ」の経営者には「三方良し」の発想などあり得なく、他人を安く使い倒すことを恥とも思わないどころか、それが経営者の手腕だと履き違えているようです。こうした過剰な搾取の場合は「窃盗」と言ってもいいんじゃないでしょうか。

しかも、ただの泥棒よりタチが悪いのは、恥知らずな経営者が盗んでいるのは他人の時間と労力、言い換えれば人様の人生を盗んでいることです。こうした人を人とも思わない過剰な搾取が横行しているから、今でも共産主義は一部の人たちに共感を得ているんだと思います。それがただの幻想だと気づかないことにも困ったものですが。

結論として、過剰な搾取は窃盗と同じくらい犯罪的な行為であり、なにか歯止めとなる規律が必要だろうと思います。それがなんなのかは、もう少し考えてみます。

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