昭和のあの頃、原チャリはぼくらの憧れだった

雑記
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報道によると、50ccの原付バイクが廃止され、その代わりに最高出力を抑えた125ccが新しい「原付」になるそうです。

50ccの原付が生産中止になるのは排ガス規制をクリアできないためですが、絶対数が少ないうえに排気量の小さな原付までCO2の排出にこだわる必要はないと思うんですけどねぇ。

それより2000ccを超える乗用車の自動車税を高くするほうが、よっぽどCO2の削減になるんじゃないでしょうか。

カーボン・ニュートラルとかSDGsとか言われるたびに、またそれで誰かが大儲けしやがると勘ぐってしまいます。

それはともかく、「原付」と言えば、ぼくのような「アラ還」世代には特別な思い入れがあります。

なぜなら1970年代の終わり頃に各社から発売されていた50ccのバイクは、原付免許を取れるようになったぼくらにとって憧れの乗り物だったからです。

当時の原付は主に、スクーターとスポーツタイプにジャンルが二分されていました。

スクーターは「ホンダ タクト」や「ヤマハ パッソル」などが人気モデル。女性ばかりじゃなく高校生の男の子たちも、スクーターを足代わりに乗り回していました。

その一方で、やっぱり男の子たちの憧れはスポーツタイプの原付。

この頃の原付はパワフルな2サイクルエンジンを搭載したモデルが多くて、最高速度が80km/hくらい出る車種もあり、中型バイクへの敷居が高かった高校生にとって速い原付は憧れでした。

しかし、ぼくが乗っていた原付は「ホンダ ダックス50」というレジャーバイク。重い車体にカブ系のエンジンは非力で、2サイクルエンジンの原付に乗る仲間たちには、あっというまに置いていかれたものでした。

それでも原付に乗るようになってからは、自転車しかなかった中学時代よりも遠くへ行くことができるようになり、自分の世界がいっきに広がりました。まだノーヘルでOKだった時代なので、気軽にまたがって、あちこち気が向くままに走り回っていたことが懐かしく思えます。

それでもやっぱり大きなバイクに乗りたいと思うのが人情。ぼくらのあとの時代には原付と思えないほど大柄な車体の50ccも登場しました。だから、ぼくたちの時代にも125ccと同じ車体の原付があったら良かったのになぁ、と思ってしまいました。

今回、原付の車体を125ccと共有化することができるようになったのは、二輪メーカーにとっても吉報でしょうね。これでガラパゴスな50cc専用の車体を作るコストから開放され、同じ車体を使い回すことができるようになるのですから。

その一方では、パッと見で50ccか125ccか見分けられないので、スピード違反を取り締まる警察官にとっては紛らわしいかもしれません。となると、125ccなのに赤い旗で止められる鬱陶しいめに遭うライダーが増えてしまうかも知れませんね。

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