映画『初恋〜お父さん、チビがいなくなりました』核家族化の問題を考えてみる

映画・ドラマレビュー
記事内に広告が含まれている場合があります。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

作品概要

『初恋〜お父さん、チビがいなくなりました』は西炯子にしけいこのマンガを原作として2019年5月10日に公開された日本映画。子どもたちが独立したあとに残された熟年夫婦の感情のすれ違いを倍賞千恵子と藤竜也が演じています。

このレビューでは映画の感想の他に、戦後の日本で広まった核家族化の問題点についても考察してみたいと思います。

主なキャスト

  • 有喜子:倍賞千恵子
  • 勝:藤竜也
  • 有喜子(青年期):優希美青
  • 勝(青年期):濱田和馬
  • 志津子(有喜子の元同僚):星由里子
  • 志津子(青年期):吉川友
スポンサーリンク

あらすじ

子どもたちが独立してから、有喜子と勝は夫婦二人だけの暮らしが続いている。勝は古いタイプの男性で、有喜子を下女のごとく扱っている。そんな勝に不満を募らせていく有喜子。飼い猫のチビが居なくなったころ、有喜子はかつての同僚だった志津子がと会っていることを知る。

感想・レビュー

藤竜也の演じる勝は「飯、風呂、寝る」しか言わないような昭和の男をデフォルメしたような夫。そんな勝に連れ合ってきた有喜子もまた、デフォルメされた昭和の妻の姿です。

さすがに今じゃこんな夫婦は少なくなったでしょうが、熟年夫婦が二人きりで暮らせば会話も必要最低限になっていくのも、ある程度は自然なことかなと思います。

とは言え、この映画を欧米人が観たらなんて思うでしょうね。これじゃあ有喜子はメイド以下の扱いじゃないか! と憤慨して、日本は男尊女卑の国だと言いだすでしょう。

海外のドラマや映画を観ると、欧米人の男性はやたら妻とキスや抱擁を交わしますけど、あれって日本人男性の感覚じゃ、いちいち面倒くせーなと思います。とにかく言葉と態度で意思表示をするのが欧米の文化なんでしょうね。

そういえば『男はつらいよ』でも、アメリカ人男性が倍賞千恵子の演じるさくらさんに「I Love You」と言ったりキスしたりで寅次郎を怒らせていた話がありました。見比べてみると日米の愛情表現について、ナイアガラの滝のような激しい落差が比較できるかもしれません。こちらにレビューを書いてありますので、お暇でしたら覗いてみてください。

男はつらいよ 寅次郎春の夢(24作)アメリカ版の寅さんのプロポーズに、さくらさん“インポッシブル!”
『男はつらいよ 寅次郎春の夢』は1979年12月28日公開のシリーズ24作目。ハーブ・エデルマンがアメリカ版寅さんのマイケルを好演し、日米の気質の違いをデフォルメした演出で笑わせてくれます。寅次郎のマドンナに香川京子、その娘に林寛子が出演。

勝と有喜子ほど極端じゃなくても、二人きりで味気ない毎日を過ごしている老夫婦は珍しくありません。とくに夫がリタイヤして毎日家にいられると、妻にとっては苦痛でしかないでしょうね。ウチの両親も似たようなもので、晩年はさすがに母も堪忍袋の緒が切れることも多々ありました。

日本人は老いてからの日々をダラダラ過ごしがちになるので、元気なうちから夫婦それぞれに楽しめる趣味や生きがいを見つけておくほうがいいようです。

戦後に進んだ核家族化が日本人を不幸にした?

子どもは就職したら、家を出て独立しなけりゃ一人前じゃない。

戦後の日本にはそんな風潮がありますね。今じゃ親元にいると「パラサイト」と寄生虫扱いする風潮すらあります。でも、同居っておかしなことでしょうか?

核家族化の風潮は、敗戦後に日本を占領したGHQによる日本弱体化政策の一環だという説があります。

アメリカは国力に劣る日本人がなぜ特攻までして挑んできたのか? その理由のひとつが家族制度にあると考えました。自分が頑張れば妻や子どもへの攻撃を一日でも食い止められるという家族への愛情が、日本兵の戦うモチベーションだったと考えたようです。

昔の日本ではあたりまえだった三世代同居は、自然と家族の結びつきが強くなります。だから戦後は家族の絆を弱めるために核家族化を推奨し、子どもは卒業したら親元を離れ、結婚して子どもと二世代で暮らすように仕向けた、というのがGHQ陰謀説です。

日本国政府も住宅の着工数が増えることは経済成長につながると、核家族化を暗に推奨しました。当時は大都市圏での労働力が不足して集団就職も盛んでしたから、核家族化は時代の流れでもあったわけです。しかしその結果、家族や親族との絆が希薄になりました。

子どもは独立すれば、だんだん実家には寄り付かなくなります。お盆や年末年始に帰省する風習は今でも残っていますが、それも親孝行のアリバイ作りとして儀礼的におこなっているだけじゃないでしょうか?

それでも、日本人にとって核家族化は不自然な暮らし方なんじゃないかという疑問は、多くの人たちが無意識に感じているのかもしれません。だから日曜日の夕方になると、三世代同居の「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」を観てしまうんじゃないでしょうか?

もし勝と有喜子が子どもたちと一緒に暮らしていれば、毎日をもっと賑やかに過ごせていたでしょうし、夫婦の気持ちが離婚寸前まで離れることもなかったかもしれません。それに老夫婦二人だけの生活は、いずれ老々介護という、もっと大きな問題を迎えることにもなります。

日本人が昔のように三世代で一緒に暮らしていれば、介護の問題だけでなく孤独死も防げますし、もし子どもや孫が非正規労働者でも家族で支え合って生きていけるんじゃないでしょうか?

核家族化の行きつく先は老夫婦だけの生活から老々介護、孤独〇と、晩年に向かって悲惨な一途を辿る可能性もあります。倍賞千恵子がこの3年後に主演した映画『PLAN 75』は、身寄りのない老人たちが政府の勧める安楽〇計画に応募するディストピアが描かれています。

【レビュー】映画「plan 75」が暴き出す冷たく不寛容な日本社会
作品概要 「plan 75」は2022年6月17日に公開された早川千絵監督・脚本の日本映画。75歳以上の国民に自分の意志で安楽死する権利(通称「plan 75」)が認められ、制度を利用する人たちと制度を支える人たちの人間模様を描いています。...

増え続ける実家の廃墟化がもたらす問題

核家族化の推進は、空き家の増加という問題も作りました。

今、地方ではあちこちに誰も住まないまま放置されている空き家が増えています。核家族化で独立した子どもたちは、亡くなった親から相続した実家を持て余してしまうことも珍しくありません。

実家が都会の一軒家なら売却できる資産価値もありますが、田舎では買い手がつかないので、ただ固定資産税を払いながら放置し続けることになってしまいます。

そうして放置された実家はあっという間に朽ち果てて、倒壊の危険も生じます。解体するといっても少なくない費用がかかるため、相続してもどうにもできない、または相続を放棄してしまう事例も増えています。

また、そうした空き家に住み着く人がいないとも限りません。とくに危惧されるのは違法に滞在し続ける外国人が住み着いてしまうことです。

過疎化した地域には放置された住宅がいくらでもあります。そこへ不法滞在している外国人たちが住み着いてしまったら、あっと言う間に「〇〇人街」が日本のあちこちにできてしまいます。そうなると地域の治安は乱れ、元からいた住民たちが逃げるように町を離れることになりかねません。

そんなふうに核家族化の成れの果ては、GHQすら予想していなかったほど大きな問題を日本社会に引き起こしかねません。

思えば、家族化の問題は昭和のころからドラマや映画の中で繰り返し描かれてきました。年老いた親を兄弟の誰が世話するのか、亡くなった親の遺産をどう分けるのか。そうしたシチュエーションは、いろんな作品の中に見て取れます。

核家族化は家族のあいだに感情のもつれを生じさせ、日本社会を内側から崩壊させていくことになりかねません。なんて他人事のように書いているぼく自身も、核家族化によって親兄弟との軋轢を抱えた当事者の一人でもあります。

先進国の中でも、唯一経済成長していないのが日本です。その中で、税や社会保障費の負担は増えていくばかり。今や江戸時代の「五公五民」と並ぶほど収入の半分が国に吸い上げられ、日本人の生活は厳しくなる一方です。

そんな中で核家族化を続けることは、日本人がゆっくりと滅んでいく一因になりかねません。今こそ核家族化の問題点に目を向けて、もう一度、家族が一緒に暮らすことを考える必要もあるんじゃないでしょうか?

もちろん、家族が集まって暮らすことで新しい問題が生まれることもあります。それでも、できる範囲で三世代同居に戻そうとすることは、日本人が生き延びていくためにとれる方法の一つじゃないかと思います。

核家族という、ごく小さな単位に分裂させられた今の日本人には生きるチカラが足りません。この映画に描かれているような老夫婦だけの家庭は、年老いていくほど生きるのがむずかしくなります。また、息子・娘世代だって共稼ぎしようにも子どもを預けられるところも費用もなければ、貧困化が進んでしまうだけでしょう。

元々、日本社会は貧しかった時代ばかりでした。戦後の高度経済成長期や、その後のバブル景気が異常な時期だっただけです。その中で進んだ核家族化というライフスタイルは日本社会にはマッチしない暮らし方だったと、今だから問いなおしてみる必要があるんじゃないでしょうか? ぼくはこの『初恋〜お父さん、チビがいなくなりました』という映画を観て、そう感じました。