もしも永遠の命がもらえるとしたら、あなたは喜んで受け取りますか? それとも、まっぴらごめんと断りますか?
きっと、今をどう生きているかによって、答えはハッキリ分かれるでしょうね。
生きとし生けるものは、必ず命の潰えるときが来ます。蝶のようにタマゴから成虫までひと月ほどの命しかない生き物もいれば、屋久杉のように2000年も生きるなど、種によってその長短にはかなりの差がありますが、いずれにしたって、永遠と思える宇宙の時間にすれば一瞬のこと。
それなのに、どうして私たちは生まれ、生きなければならないんでしょうか。
このエントリーはAmazon Prime Videoで視聴した『火の鳥』に基づいています。
人の命は短いのに、それでも生きなければならない理由とは?
この『火の鳥 黎明編』では、命とはなにか? 生きるとはなにか? が登場人物の生きざまをとおして描かれていますが、とくに3人の女性たちが命の意味を具体的に表してくれます。
ヒミコはヤマタイ国の女王として君臨しましたが、弟のスサノオすら追放してしまう独裁者です。しかも徹底したアンチエイジング志向で、若さと美貌を取り戻すため、部下に火の鳥を捕らえさせようとします。
しかし願いは叶わず、ヒミコは絶命。ヤマタイ国の人々はヒミコの死を悲しみますが、それはヒミコを慕ってというより、指導者を失った自分たちの行く末が心配だからでしょう。だからヒミコは、どんなに大勢の人々に囲まれていても、孤独な人生を送ったと言えます。
そんなヒミコに対して、ヒの国のヒナクは3人の子どもたちを育てました。マツロ国の踊り子ウズメも猿田彦の子を宿しました。そして高天原一族と戦い絶命した猿田彦の亡骸に言います。「あなたは負けていないわ。命は途絶えることはない」と。
自分の身から新しい命を産むことのできる女性に対して、男性は誰かの命を守ることしかできません。
ヒナクの最初の夫ウラジは、破傷風に侵された妻を救うために命を落としました。猿田彦は息子として育てたナギを高天原一族から守るため、ナギは自分をかばった猿田彦を生き返らせるために命を落とします。
そしてヤマタイ国に帰り着いたヒミコの弟スサノオは、高天原一族に滅ぼされた国を見て「この世は夢に過ぎない。王も奴隷も、この世を紡ぐ機織りに過ぎない」と言います。
黎明編の最終回で語られたウズメとスサノオそれぞれのセリフが、命とはなにか? 生きるとはなにか? に対する作品からの回答かもしれません。
なんのための医療? 延命治療に意味はあるのか?
手塚治虫は医学博士としての知識を活かした『ブラックジャック』も代表作の一つですね。医師でもある手塚が命をテーマにした『火の鳥』を描いた背景には、現代医学に対するアンチテーゼがあるのかもしれません。
最近では「人生100年時代」なんて言われますが、実際に100年生きたとしても、晩年は病院のベッドで過ごす人が少なくありません。そのなかには胃瘻などで延命を強いられている人も大勢います。
日本ではいったん延命治療を始めると、家族や医師の判断でやめることはできません。また、癌などで余命宣告をされても尊厳死を選ぶことはできません。そのため、尊厳死が認められている国へ行って自分の最期を選択しようとする日本人もいます。
もう少し日常的なレベルでは、アンチエイジングという風潮もありますね。とくに一部の中高年女性のアンチエイジング志向は度が過ぎているように思えます。
加齢で白髪や皺が増えるのはあたりまえです。なのに、アンチエイジングで若く見られたいと思う考え方の裏には、自分の生き方に対する自信のなさが隠れているように思えます。
いつまでも若々しくありたいと思うのは、ある程度は自然なことかもしれません。しかし、実年齢より10歳は若く見られたいと思うようになったら、ヒミコのように常軌を逸したアンチエイジング志向としかいいようがありません。
マスコミはいっとき、実年齢より若く見える女性を「美魔女」と称してさかんに持ち上げました。そんな浅はかな風潮に乗せられて高い白髪染めやメイク用品、ファッションにおカネをつぎ込んでいる女性は哀れとしか思えません。彼女たちがさらに歳をとったとき、どういう気持ちで最期を迎えるのでしょうか?